【おばあちゃん】父方の祖母は年々弱っていき入退院を繰り返して、大抵の時間を孤独に過ごして亡くなった。-2ページ

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【おばあちゃん】父方の祖母は年々弱っていき入退院を繰り返して、大抵の時間を孤独に過ごして亡くなった。

祖母の体調は思わしくなく入院をするたび
「長男の嫁だから・・・」と母が看護にあたっていました。
私は何回かそれに付き添い、祖母の変わりように毎回愕然とするものでした。
お見舞いに行くと必ず「大きくなったねぇ」
と、か細い声でつぶやくのです。
祖母なりの配慮だったのでしょうか、
行くたびに千円札を握り締め「少ないけどこれで何か買ってね」
と笑顔で渡すのです。私は毎回行くたびお金をもらうなんて
悪いと思ってお見舞いに行く回数を段々減らしていきました。
それから次に会うまで3年の月日が流れました。
その間に祖母は入院生活を過ごしたり、家に戻ったりいつも一人でした。

祖母の体調はますます悪くなる一方で、
もう家に戻れない状況になったとき
私は長い間しなかったお見舞いに行きました。
ICUに入り変わり果てた祖母の姿は無惨でした。
チューブが何本も体に入っていて酸素マスクや心電図が祖母のまわりを
取り巻いていたのです。祖母はやせ細り、腕には何本も打たれた注射や
点滴の跡で青紫の斑点がいくつもありました。

もう自分では話す力もなく、
医者からは峠が近いというのを聞かされました。
久しぶりに見た祖母をそばに私は何をすることもできませんでした。
できたのは手を握るくらいですが反応もありませんでした。
あいかわらず祖父、兄弟は見舞いに来るわけでもなく
看護は父、母が行っていました。
祖母はICUから出れるまで奇跡的に回復し、
自分で話すことが少しできるようになりました。
その頃私は医療系の専門学校に入学してちょうど1年がたつ頃でした。
私の進学をその日に知った祖母は「学校・・・頑張ってね」と
弱い声で言ってくれました。私は「うん、頑張る」と
握手をして祖母に誓いました。

容態が急変したのは次の日の夜でした。
私は母とともに急いで病院に行きました。
目に飛び込んできたのは祖母の周りに今まで一度も
現れなかった兄弟たちがいました。
「おじいさんより長生きするんちゃうのー?」と
笑いながら耳元でささやいたり祖母のベッド端に
腰掛けたり財産分けの話が生死をさまよっている
祖母の周りで飛び交っていました。

・・・愕然としました。よくこんなときに平気な顔で笑ったりなんかして・・・
私は怒りを覚えながらも祖母のそばに行き手を握り締め
「おばあちゃん」と声をかけるのです。
声をかけるたび心電図の値がよくなるので何度も声をかけました。
祖父もようやくかけつけるも祖母のそばに行くわけでもなく
ただじっと遠くで見ているだけでした。
状態が一応安定したので次の日に学校がある私と
仕事のある兄は帰るように促されました。
私も兄も帰りたくなかったのですが仕方なく帰るしかありませんでした。
ただただ、祖母が無事でありますように・・・と願うばかりでした。

家に帰ってすぐ電話がありました。
「亡くなったよ」という知らせ。
私たちが帰ってすぐ亡くなったそうです。あまりに悲しい最期でした。
葬儀では悲しくも財産の話や祖父に急に優しい態度をとる
兄弟たち・・・全てが重くのしかかってきて
母は連日の疲労で倒れてしまいました。
やはり長男の嫁という考えがあり、
ずっと見守ってきたのは私の母だけでした。

棺おけで安らかに眠る祖母の顔は優しく、
苦しいときのあの顔はありませんでした。
私はずっと泣いていました。あまり祖母との交流は
なかったにもかかわらず会ったといえばお見舞いだけですが、
行くたびの祖母の嬉しそうな顔が忘れられなくて。
祖母は小柄で笑顔がとてもかわいくて優しかった。大好きでした。

遺品の整理で家に行ったとき祖父は祖母の物を
全て「ゴミ」としていました。
もう祖母の物はありません。高価なものや価値のあるものは
全て女の兄弟が勝手に持って帰ったそうです。
私は祖母の存在がなくなってしまうのが怖くて
ゴミ袋の中からガラスのキレイな箸まめを見つけました。
祖母が使うはずだった箸まめを
私は祖父に見つからないようこっそり持って帰ってきました。

祖母がなくなって1年、私は学校のことで悩んでいました。
毎日の実習が辛く辞めてしまいたいと思うようになりました。
友達には相談しましたがやはり私は我慢できませんでした。
そんなときいつも思うのが祖母に声をかけてもらった言葉と箸まめ。
祖母を裏切るようでなかなか決心がつきませんでした。
もうボロボロになり、私は結局学校を辞めてしまいました。
学校を辞めてからすっきりはしたものの祖母との約束を果たせなかった
自分が情けないと感じるようになりました。
お墓に幾たび「ごめんね」と謝っている自分がいました。

現在、祖父が体調を崩しており、
家で限られた人数の兄弟が交代で介護しています。
私は祖母に孫として何もできなかったことを後悔しています。
きっと何かできたはずです。
今介護職員として働いている私は
ちょくちょく顔を出し祖父の介護をしています。
頑固なため父の介護には拒否しますが
やはり孫だからか私には素直に応じてくれるときがあります。
私の姉の娘、息子が家に来たときにはしゃべりっぱなしだったそうです。

老人は一人のときとてもさびしそうな顔をします。
そんなとき自分には何ができるのか考えてください。
少し話すことだけでも嬉しいのですから。きっと笑顔になります。

長文すみませんでした。
これを書いてるとき思い出して涙が止まりませんでした。
でも箸まめをみると元気になれます。
ありがとうおばあちゃん。

●コメント
泣いた。

●コメント
ここのスレをいくつかよんでかなり泣きました…
よんだ後なぜか温かい気持ちになれるし頑張ろうって
勇気が湧いてきます。本当に感動できる話をありがとう。

http://ai.2ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

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